いまけんバンド

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ファゴット持って、始発(4:38)で大阪へ。

d0143739_17515211.jpg昨年、中学生の頃の部活(吹奏楽部)の顧問をされていた今中健司先生が急逝されました。葬儀のあと、なにか先生のためにぼくたちで出来ることはないか?そんなことを話しているところで挙った1つの企画。教え子、関係者でのバンドで追悼の意を込めて演奏をする。そんなこと本当に出来るのか?練習場所の確保は?楽譜の手配は?打楽器の手配は?どこで演奏するの?そもそも参加してくれる人は集まるの?などなど、一般バンドとしてクリアしないといけない問題点もあり、案はあってもなかなか進まなかったわけで...。

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でも、1度かられた衝動はなかなか修まらないもので...。
目標は地元の夏の恒例行事、第23回八尾市吹奏楽フェスティバル!と、言うことで走り出したいまけんバンド!先輩方が発進させてくれた舟にぼくは当日入りのスーダラ節?!

d0143739_2135983.jpg今中先生が赴任された3つの学校、T正中、R華中、Y尾中の吹奏楽部OB・OGと先生が親しくされた方などが集まった出演者はおよそ50名。同級生や当時いっしょに演奏していたメンバーも参加。ほとんどの参加メンバーが、楽器を吹くのは学生の時以来。再び楽器を手にしたバンド少年少女の顔はとても晴れやかで嬉しそう。今中先生のモットーである『一生懸命』はまったく変わってませんでした。下手っぴでも一生懸命の演奏、手は絶対ぬかない。出来なければ何度も繰り返し練習する。どないしてでも、ええ演奏すんねん♪

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演奏するのは、先生がかつて指揮された...

 ♪ アルセナール(ヤン・ヴァンデルロースト/作曲)
 ♪ ディズニー メドレー(岩井直溥/編曲)


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あのバンド少年少女がプリズムホールに帰ってきた!
毎年演奏していたこのホールに再び戻って来れるなんて、またみんなと演奏が出来るなんて、夢のような時間。

演奏が始まった瞬間の鳥肌の立つような感覚は、奏者みんなの強い想いが1つになった感動!今中先生によって結ばれた人と人との『絆』のようなものが音楽とともにホールに響き渡る。これが、いまけんバンドのサウンド♪ 終わって欲しくない夢のような時間、込み上げる涙を抑えながら無事に演奏を終えました。この素晴らしい時間を作って頂いた、フェスティバルの関係者のみなさま、このバンドのサポートをして頂いた先輩方、そしていっしょに演奏したメンバーに本当に感謝です♪

演奏の様子はこちらで♪

18日、大阪府八尾市の市文化会館。
地元のアマチュア楽団が集う「八尾市吹奏楽フェスティバル」に10〜40代の男女54人でつくる「いまけんバンド」が出演した。八尾市の三つの中学の吹奏楽部OBら。「いまけん」こと恩師、今中健司さんに教わった行進曲を演奏した。ステージの真ん中に置かれた今中さんの遺影が、ほほ笑みながら見守った。大阪府立夕陽丘高校1年の岡本翔子さんはトランペット担当。バンドの最年少メンバーだ。「思いは先生に届いたかな」

d0143739_0542691.jpg昨年9月13日、八尾市立八尾中学3年だった岡本さんは、吹奏楽部の一員として大阪府マーチングコンテストに出場した。顧問の今中さん(当時49)は1週間ほど前から37度台の熱が続いていた。それでも毎朝7時からの早朝練習には休まず参加。岡本さんは、音楽室そばの非常階段で座り込む今中さんをたびたび見ている。「朝練、休んだら」妻で主婦の幸子さんがそう勧めても、今中さんは「子どもたちがやる、って言ってんねん。おれのクラブとちゃうねんから。子どもたちのクラブやねんから、おれは行く」と譲らなかった。コンテスト当日。今中さんはいつもと同じようにリズムに合わせて体を揺らし、指揮棒を振った。結果は金賞。関西大会出場が決まった。でも、演奏後の恒例の記念撮影に、今中さんの姿はなかった。39度2分の高熱と激しい頭痛に襲われ、保護者が運転する車で会場を後にしていた。検査の結果は「急性骨髄性白血病」。午後10時に脳内出血で意識を失い、3日後の16日午後に亡くなった。翌日の通夜。駅から会場の葬儀会館まで、教え子のら約3千人が列をつくった。今中さんはその年、初めて1年の学年主任を任された。宿泊学習の手配、人権教育の企画...。生徒の問題行動や保護者の対応に備えるため、同じ学年の教師が全員帰宅するまで学校に残った。家に戻っても、生徒や保護者と電話で話したり、授業のプリントを作ったり。八尾中で同僚だった男性教師は言う。「先生が一生懸命やれば、生徒もやる気になる。めいっぱい働いてこそ、子どもや保護者の信頼を得られる」

今中さんが教師になったのは1982年春。
八尾市立大正中学で理科の教師として教壇に立ち、翌年、学生時代に親しんでいた吹奏楽部を立ち上げた。「高校どうするんや」。同中出身で、いまけんバンドで打楽器を担当する竹野史恵さん中3の秋、今中さんからそう尋ねられた。口ごもりながら吹奏楽で有名な私立高校の名を挙げた。「あきらめたらあかんで」。その日から3日間、今中さんは部活後に竹野さんの自宅に通って勉強を教えた。竹野さんは志望校に合格し、短大を経て今、八尾市立上之島中学で音楽を教える。(...中略)

教え子らは、インターネットの交流サイトで連絡を取り合い、「先生をしのんで演奏しよう」と4月、いまけんバンドを結成した。18日の本番。幸子さんは観客席で演奏に聴き入った。満員のホールを拍手が包むなか、ハンカチで顔を覆った。「昔やんちゃやった子も一生懸命演奏してくれた。夫が好かれていたんだなって、よくわかった。それだけに悔しいです。なんで彼がここにいないのかって」

(2010.7.19「朝日新聞」より抜粋)


翌日の朝日新聞(朝刊)に掲載されました。
バンドにいたときは仲間がたくさんいて悲しさも紛れたけど、1人で読む記事は現実を突きつけられてるようで胸が詰まりそう...。

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